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【離れていても、そばに居る人】

おはようございます。

昨日は栃木ブロック協議会 とちぎ人間力委員会

公開事業”モチベーションアップセミナー”に出席して参りました。

久々のブロック事業の出席で、まわりのメンバーなんかも

新しい顔ぶればかりで、新鮮さがありました。

出席するだけでもモチベーションが上がりますね。

本当に良い公開事業でした。

そんな訳で・・・

感動する話をどうぞ。。。



【離れていても、そばに居る人】


4月。
さくらが咲く頃になると、心がギュッと締め付けられて
苦しくなる思い出があります。

3年前のことです。
満開の桜並木の中、妻とともに、
母を車に乗せてホスピスへ向かいました。

それより、4カ月ほど前、
母は、余命4カ月と診断されていました。
抗がん剤治療を、自ら断り、
最後はホスピスで死にたいというのが母の切なる希望でした。

お世話になった病院の先生からは、何度も、
「抗がん剤治療をしなさい」
「あきらめないで」
と言われていました。
そのため、母の気持ちを説明するのが私の役目でした。

私も、できることなら、
どんな苦しい治療をしても
一日でも長く生きていてほしかった。
でも、母は、親兄弟や友人たちが、治療で苦しんでいたのを見ていて、
自分の時には、ホスピスで緩和ケアをしてもらいながら死のうと
決めていたのでした。

それは、
息子の私にとって、叫びたいほどの辛い決断でした。

そして、思うよりも早く、別れの時はやってきました。
ホスピスに入って、わずかに2週間ほどのこと。
つい、この前まで、一人で歩き、一人で食事もできたのに。

その日の午後、院長先生に廊下の隅に呼ばれました。
「もう、近いかもしれませんよ」
覚悟はしていましたが、
その気持ちをどこへ持って行ってよいかわかりませんでした。

その時、一人の友人の顔が浮かびました。
ホスピスの中庭に出て、その友人にケータイで電話をしました。
事情を話すと、黙って聞いてくれました。
母は、言葉に表せないほどの、苦労の連続の人生を歩んできました。
「さあ、これから、その苦労の分取り戻すんだ」
という矢先の病でした。

長年の父の看病に疲れて、倒れてしまったのでした。
それに、気が付かなかった私は、辛くて、辛くて・・・。
そんな話も、友人にしました。
涙があふれて、むせび泣きつつ。

彼は、じっと聞いてくれた後に、こんな話をしてくれました。
「信じてもらえるかどうかわからないけれど、
キリスト教では、死んでも魂は生きていて、
ずっと、あなたのことを見守っていてくれるのですよ。
お母さんは、いなくなってしまうのではないのです」

クリスチャンである彼は、
なんとか私を元気付けようとし、そんな話をしてくれたのでした。
長崎在住、作家の中井俊已さんです。

実は、同い年の親友なのに、
今まで2回しか会ったことがないのです。
でも、メールと手紙と電話は数知れず。
離れていても、心は通じる。

いや、ちょっと違います。
離れているけど、いつも近くにいる。
そんな人なのです。
だから、辛くて、辛くて、
悲しくて、悲しくて、
どうにもならなかったその時、
知らぬ間に、中井さんに電話をしてしまっていたのでした。

その3時間後、母は亡くなりました。
中井さんの言う通り、
母は、いつも、私のそばに居てくれます。
何かあると、いつも小言を言いながら。


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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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