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【生きることとは】

「今日われ生きてあり」

この本には、太平洋戦争の時、特攻隊の少年飛行兵の方たちが残していった
手紙・日記・遺書などの貴重な記録がまとめられています。

どれも印象深い話ばかりなのですが、その中から、
沖縄の海に散った大石清さんのエピソードを紹介します。


大石清さんは、昭和20年3月の大阪大空襲でお父様を亡くし、
その後まもなく、重病でお母様を亡くしました。

残された家族は、妹の静恵さん(当時11歳)だけです。
静恵さんは伯父の元に引き取られていました。

次の遺書は、特攻飛行の直前に、
まだ幼い静恵さんに宛てて書かれた手紙です。


☆なつかしい静(しい)ちやん!

おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なは(沖縄)の海に散つてゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼ない静ちやんを一人のこしていくのは、
とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。

兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であづけてゐた
いうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが
女学校に上るときにつかつて下さい。時計と軍刀も送ります。
これも木下のをぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。
兄ちやんのかたみなどより、
これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。

もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!

--- 神坂次郎「今日われ生きてあり」
次の手紙は、上の遺書を大石さんから託された大野沢威徳さんが
静恵さんに宛てて書いたものです。



☆大石静恵ちやん、

突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。
そのとき、このお手紙を わたしにあづけて行かれました。
おとどけいたします。

伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を
大へんだいじにしてをられました。いつも、その小さな
にんぎやうを飛行服の背中につつてをられました。
ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や落下さん(傘)の
バクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、
伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さう
と言つておんぶでもするやうに背中につつてをられました。
飛行機にのるため走つて行かれる時など、そのにんぎやうが
ゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、
あれが伍長どのとすぐにわかりました。

伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう。

同行二人・・仏さまのことばで、さう言ひます。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。
いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせう。
けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの "仏さま"
になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます。

伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。
静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、
元気を出してべんきやうしてください。さやうなら

--- 神坂次郎「今日われ生きてあり」


二通とも、静恵さんへの真っ直ぐな愛にあふれていて
悲しくも美しい文章だと思います。
読むごとに胸が締め付けられ、心が揺さぶられます。
わたしたちがこの世の中に生きているということはどういうことなのか?
といったことを考えさせられます。現代に生きる私たちは、自分に与えられた
人生の時間をありがたく思い、大切に使わなければならないと思います。

小さな本ですが、本を開くごとに、
亡くなられた方たちの言葉の美しさと重さで胸がいっぱいになります。
そして、命の尊さについて考え、自分自身の人生を見つめ直します。

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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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