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“自信”とは等身大の自分を認めることだ

“自信を持て!”、“頑張ればできる!”、“夢は大きく持て!”…、
言っていることはわかります。
でも、どう目標を持って、どう自信をもてばいいか、
どう頑張ればいいか、それがわからない。
自信…自分を信じる? どうすれば信じたことになるのか? 
それに自分を信じたって何も物事はかわらないじゃないか!…と、
何かが不足しているような、頑張っているはずなのに何も成果が得られないような焦燥感。
現実がうまくいっていなくて夢のことなど考える余裕がないのに、
他人事のように夢を語る人間に無責任さを感じ反発する。

“何かに守られている”という“安心感”があれば、
失敗を恐れず自由にやってみたいことにチャレンジできますが、
大人になると甘えは許されなくなり、当然認められないことの方が多く、
良い点など誰も見てくれないのです。それなのに「自信を持て!」「頑張れ!」
などと言われると、応援ではなく“追い討ち”にすら聞こえるのです。
期待に応えたい、でも出来ないから悩んでいる…
「良い結果を出さねばならない」と条件に縛られ、逆に何もできなくなる。
「自分には決定的に何かが足りていないから、
社会でうまくやっていくことができないんだ」と、何もかも空回りしてまた自信をうしなう…。

そんなとき、どうするか?
確かに、人は向上心や意欲によって成長していると考えられています。
でも、本当はそれだけではありません。
それがこの言葉「焦らず等身大の自分を認めてあげる」ことだと思います。
今自分の持っているもの、出来ている事、
周囲の評価は低くても自分は正しいことをしたんだという
自己評価”をすることも、成長することになるのです。
それは、自信があるから何か行動ができるのではなく、
行動していく過程で“自分自身に自信を与えていくこと”ではないでしょうか?

やりたいことが見つからない…、焦って探さなくとも、
自分に向き合うチャンスだと、何故やりたいことが見つからないと
思っているのか積極的に考えてみる。
何かをして結果として失敗だった…、
でも、挑戦した自分、学んだ自分を認めてあげること。
こんなにも自分は弱くて情けなかったんだ、
意地悪で卑屈で醜い心を持っていたんだ…。
追い込まれて、自信がないときにそれを認めてしまうことは
自分の存在自体を否定してしまいかねないほど恐いことです。
でもそこに、「できないことが当り前、“だからこそ”
自分は挑戦することができる
」と自信が無い自分を受け入れてしまうと、
不思議なほど“自信”がつきます。

コップに半分水が入っていたとして、「まだ半分もある」と思うか、
「もう半分しかない」と思うかは、
“自信”がある・ないのではなく、恐くとも、良い悪い全部ひっくるめて
“自分を知ろう”とするかどうかで決まるようです。

参:
「未熟であることに消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなる」
「強さとは、己の弱さを知ること」
「自信があるから行動するのではない、自信を得るために行動するのだ」
「才能なんて関係ない、やりたいからやる。 ただそれだけなんだよ。」

”言葉”は自分を縛り付けてしまうときもあります。
一言で片づけてしまうと、とんでもないことになります。

自信=行動して自分を知る事

と、置き換えてしまった方が当てはまるのかなと思います。

子どもたちにも”がんばれ!!”という前に、”俺が居るからがんばれ!!”
大人もそう、”がんばれ!!”と言わないで、”俺が責任をもつからがんばってみろ!!”

言葉の短縮はある意味”危険”なのかもしれませんね。


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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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