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最初の一歩を信じる

<道の全部が見えなくてもいい、まず最初の一歩を進んでほしい>

「希望」は懐中電灯のようなもの。
真っ暗闇に一人怯えて前に進むことができないとき、
一丁の懐中電灯があったらどうだろうか? 

昼間のように自分とそのまわり全体を照らすことは出来ないので、
あっても頼りないと感じるかもしれない。
でも無いよりはまだあった方がマシだと思うはず。

せいぜい5メートル先までしか照らせないので、
足元をよく確認しながらでないと先へ進むことはできません。
でも、それだけの範囲が照らせるのであれば、
どれだけ先が闇であっても前へ進むことは可能なのです。
5メートル進んだ先もその次の5メートル先も、
光はいつもその5メートル先を照らし続ける。

だからもし、希望という懐中電灯が弱く頼りないものであったとしても、
ずっと何かを照らすだけの力さえあれば次々と道は拓かれていくという事実。

それは一重に自分の持つ希望というものを“信じる”ということであり、
そこに安心や勇気というものを託すということによって
電池は切れることなく最後まで照らし続ける。

希望は夜空に光る一つの星のように遠くで微笑んでいるかのようなものにも思えるし、
海の水平線の向こう側で待っているかのような、
どちらにせよ自分の手が届かない存在として考えているのかもしれない。

でも、時には自分の足元だけを照らす希望だってあるのだ。
先の見えない怖さに足がすくんで夢も希望もないと思うとき、
今自分が何を持っているのか、どんな可能性が残っているのか?
という考えまで中々行きつかない。

ただ闇を呪い、自分を包む恐怖に慄き、小さく身を縮めてジッと
それが一夜の悪夢であることを祈って耐えようとする。
それでも一向に朝日が射さない自分に焦りなんて不運なんだと、
嘆くばかりでそこから一歩も前に進むことが出来なくなりやすい。

「こんなはずじゃなかった」「いったい自分は何がしたかったんだろう?」と
思う時にこそ、ほんのささやかかな灯りでいい、
自分の足元だけでも照らす「どうしたい?」という希望を持ってみる。

あれこれ心配して何をやってもダメなとき、
何も考えずただ自分の立ち位置を認めたとしたならば、
千歩先が見えなくてもそこからまず一歩は踏み出せるはず。

焦らなくていい、自分の周りは崖だらけで動けば落ちてしまいそうだ
と思った現実はそこから先へ進んで行くのだと思います。

焦らなくてもいい。

一歩一歩の積み重ねが大切です。


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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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