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臆病さと強さは相反しない

自分に怯み(ひるみ)を抱いてしまうとき。
何もかもが心配や不安でいっぱいになって、
自分を小さく小さくしてしまうときがあります。

過去の失敗からか、未来への無知のせいなのか、
どちらにせよ条件的な物事に縛りつけられて想像力が
一向に発揮できないのです。

あれこれ改善すべき事を考えてみるものの、
それを行動に移すための気力がついてこない。
そんなときは自分の望まない世界を自分で拡げてしまっているからなのです。

僕たちは地面にくっついて生きているから、
地べたのことは掘ったりさわったりできるので具体的に考えることが出来るけれども、
天の空のことは飛んでみても言葉通り「雲を掴む」ような漠然とした考えしか出来ない。

気持ちが落ち込んだとき、まずまっさきに考えられることは
目に見えるわかりやすい価値観だろうし、
具体的に感じる物事以外は信じることができない。

僕たちの未来は“未知”の世界だから、見えることばかり考えていては
自分の望む世界は拡がらないように出来ているのかもしれない。
それは何も考えないか、いい加減な気持ちになればいいというわけではなくて、
もっと大きくてもっと広い自由な世界があるということを実感として捉えること…

臆病になってしまうとき人の選ぶ道は二つ、逃げるか受け止めるか。
逃げるとますます小さくなるし、受け止めるにはその不安よりも
何かを大きくしなければならない。
大きな何かとは自分というキャンパスの枠よりも
はみ出したものを想像すること。

そんな時人は空を仰いでその青さを改めて知る。
「ああ、空ってこんなに青かったんだ」と。
わかりきったこと、当たり前だったことに純粋に感動できる自分が嬉しくなる。
そうして、小さくなってしまっている自分が妙にバカらしく思えるから不思議だ。

状況が変わってしまっても、自分という存在は変わらない。

いつの間にか状況に合わせて自分のペースというものを忘れてしまっただけ。
合唱で他の人のパートにつられて巧くハモることができなくなっているだけ。

自分のパートを、ペースを状況に惑わされずにもう一度思い出せば、
状況は自分にとってハーモニーとなります。

決して都合の悪い状況を無視しない、ひとつのメロディとして楽曲の一部分として捉える。
それが自分の望む世界を拡げる想像力であり、怯まない状況を創りだす。

具体的な不安がぶつかってそれを真正面で受け取ってしまったとき、
それを想像で包んで自分の脇へそっと置くぐらいの気持ち。

深く深呼吸してみぞおちよりも下に不安を落として着かせる。

臆病であればあるほどにそのチャンスは与えられ、
人は強くなっていくのだと
僕は思います。

不安を抱え込んでなお安心できる存在になったのだとしたら、
それは「強い」ということなんだと思いませんか?


参:強いとは弱さを知ること
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hayato

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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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