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名前

それはその人を表す最も重要な“しるし”であり、
アイデンティティ(自己統一性)の確立を担っているものです。

しかし、自分であるということを認識する時には、
子どものころのように自分の名前を自分で言わない限り、
名前というものはさほど重要でなくなります。
じゃあ、名前というものが重要になるときは?というと、
それは「呼ばれる」ときにそのイメージや実質の性格が言い表されるのです。

ニックネームやペンネーム、ハンドルネーム、
全てはその世界においての自分の存在の“しるし”であり、
その名においてキャラクターを形成していきます。 
それをエクリチュール(※)と言うらしい。

不思議なもので、“名前”を持つものはその呼ばれる度に
その名前の持つ性質を自ら形成していくという
「言葉によって物質は変化する」現象が起こります。
ここに「願いは叶う」とか「ウソがまことになる」真理があるように思える。

何気なく一冊の本を手にとるという行為にしても、
僕達は意味があるからと考えて手にすることがない。
ただなんとなく無意識にまるでその本に“呼ばれる”かのように
ふと反応してしまうのです。
意味があるかないかはその後の話で、僕達を“意味付ける”
物事はいつも“行動した後”の事なのです。

誰かと出会い、恋をして別れたり結婚したり、仕事をしたり旅行をしたりお洒落をしたり…
期待はしても、意味なんか最初に考えていないのではないでしょうか? 

この不思議な“縁”というもの、ユングの言うシンクロニティ(共時性)のように、
偶発的に起こる必然の出来事。それを結びつけるのが“言葉”というもの。
だから、僕達が誰かの名を呼ばなければ、誰も振り向かない。
そして誰も自分のことを呼ばなければ“わたし”は反応しない。

名前を持つということの意味とは、その存在がそこにあることを認めるということ。
おばけも妖怪も宇宙人も、目に見えなくても“名前”があれば存在することができるのです。

僕達は名前を持っている。今ここに意味を持って存在しているし、
誰かに呼ばれるために生きています。

だから、もっと自分の名前を大切にしてもいいと思う。
もし、自分の名前が好きならば、呼ばれる度に幸せになるはずなのですから…。


※ エクリチュール。
哲学者バルトによれば、人は自分の使う言葉によって
自らを縛り付けるものらしい。


例えば、社会人という立場、恋人という立場、親という立場、
病気をしたときの患者の立場、子供という立場…など、
一人の人格であっても、その立場によった言葉を人は用いて、
その立場らしい振る舞いをしようとするのです。

映画館から出てきたばかりだと、主人公に成り切った立場で物ごとを話す人もいたりと、
どうやら、自分の使う言葉によって人はキャラクターを変化させることが可能らしい。
そんなエクリチュールを使って誰でもないオリジナルのものを創造することも出来る葉面、
一度そのエクリチュールに縛られるとワンパターン化されて
融通の利かないものになってしまう危険もあるそうです。
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那須塩原市で防災・防犯の会社を経営しております。安心・安全・信頼を通して地域のお役に立てる会社にしようと奮闘中です。少しでも皆様のお役に立てる情報が流せたらと考えております。

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